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小島淳二 ・・・e-Spirit ご出身は佐賀県とのこと。小島さんの少年時代をお聞きしたいのですが? 中学生になったばかりだったかな? 大学進学と同時に東京へ。大学は教育学部美術学科に入られたんですよね? 美術の教員免許をとり、4年後には佐賀へ帰ろうと決意して上京しましたが……。 最初に入った会社ではどのような仕事を? 昼間は合成などの編集の仕事。 デジタル編集のエディターとして5年間勤務した後、活動の幅を監督(ディレクター職)まで広げられるわけですが、当時としては珍しかったのでは? エディターから監督になったのは僕が始めてだったかもしれませんね(笑)。 |
フリーのディレクターとして活動した後、95年に「teevee graphics」を設立されるわけですが、その設立の経緯を教えてください。 当時、モーショングラフィックの面白さ、グラフィックが動くという観点で仕事をしている会社がなかったので、ならば自分で作ろうっていう。 「teevee graphics」を設立される前後から、ミュージックビデオやCMの仕事も数多く手掛けるようになりましたよね? ミュージックビデオに関しては設立当時、ちょうど「avex」全盛の時代で、いろいろな仕事をさせていただきました。例えば「納品まで1週間。写真素材3枚のみでアルバムのスポットを作ってほしい」という依頼にどう応えていけるか……? 急ピッチで製作が進んでいく、現場レベルの判断で映像を製作できる、そんな醍醐味を味わえる時期でもあり、鍛えられました。 現在に至るまでCMはもちろん、ミュージックビデオに関してもホントに多岐にわたり「「teevee graphics」」名義で製作されていますが、とくに最近携わったもので印象に残っているものはありますか? 少し前にテイさん(テイ・トウワ)の新曲「A.O.R.」を監督しました。テイさんが考えるアダルトでスタイリッシュな“新しい音”だったわけですが、映像を含めたその世界観へのアプローチが面白くて。行きつけのバーで飲み疲れて寝ているおじさんへの応援歌っていう。でも、シニカルかつスタイリッシュ(笑)。スタッフィングも含めて、皆で話し合いをしながら、ひとつの作品に仕上げていく過程がとても楽しく、印象に残っていますね。楽曲はアーティストの力、それゆえ独自の世界観をもっているアーティストとのお仕事はホントにやりがいを感じます。 |
小島さんのソロ活動といえば、00年よりスタートしたラーメンズ・小林賢太郎さんとのユニット「NAMIKIBASHI」。その誕生の経緯を教えてください。 「映像でできる笑いの表現方法はないものか?」と考えていた当時、実験的に空いている時間を利用し、映像の展覧会を開催していたんですね。 監督・脚本を「NAMIKIBASHI」名義でクレジットしていますが、小林さんとの役割分担は決まっているのですか? はじめに二人でコンセプトを考えて「絶対、おもしろくなるだろう!」というテーマが見つかると、小林くんが字コンテを書き、その世界観に対して僕が「映像にして面白いか?」を再度考えて、絵コンテにしてフィードバック。 日本文化をスタイリッシュな笑いに昇華させた映像で、国内外のショートフィルムフェスティバルで数多くの受賞をされていますが、海外でも賞賛される理由はなんだと思いますか? う〜ん、なんでだろう。ひとつ言えるのは……映像の中で繰り広げられる、外国人から見た”おかしな国ニッポン”の文化とマナーを表現できているからでしょうね。 小島さん自身、CMやミュージックビデオの製作をしつつ、今後も「NAMIKIBASHI」の活動は続けていくわけですよね? 「NAMIKIBASHI」の活動は、発信(表現)したことに対してきちんと反応があるので、通常の仕事とは趣きが異なります。今後も人から依頼される仕事だけではなく、自分たちで一から作っていける作品づくりは続けていきたいと思っています。 最後に、今後挑戦してみたいことを教えてください。 日本ならではの美意識を、映像を通して伝えていきたいですね。 |