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岡田さんの子供時代の話をお聞きしたいのですが? 外で遊ぶというよりは、自宅で絵を描いたり本を読んだりする方が好きでしたね。将来の夢はアメリカに行って車のデザイナーになること。ひたすら自分で考えた乗り物の絵を描いていた記憶があります(笑)。そういえば、小学生の時、福井県の交通安全ポスターで一等賞をとり、その絵が印刷されて街中にたくさん貼られたことがありました。この時は子供ながらに嬉しかったですね。もしかするとこの経験も、今の仕事に進む要因になっているかもしれませんね。 デザインの勉強をするために上京。デザイン専門学校時代の東京の印象は? 東京にいた!という記憶だけで、遊んだ記憶はほとんどないですね。高校時代、あまり勉強しなかった反動でしょうか。 デザイン学校での2年間は真面目に勉強に取り組んでいました。なかでも、時間をくぎって広告のアイデアを考える授業は面白かったですね。 卒業後はどのような会社で働きはじめましたか? デザインに関わる仕事がしたくて、パッケージデザインやSP広告をメインにするデザイン事務所に入りました。とにかくデザイン業界に潜り込むことが最優先! 1年間在籍しましたが、この会社では「お金を貰う以上、半端な仕事ではダメ」というプロの仕事観について学ばせてもらいました。同時に、自分が本当にやりたいことは「違うスタンスの広告なんだ……」という気持ちに気づいた時期でもありました。それで「次に進もう!」と。 当時、広告業界は今と比べても、すごく元気な時代でしたよね? スタークリエイターの方々が活躍していた時代でした。素晴らしい仕事を次々と世に送りだしている姿をみて「自分となんでこんなに違うのか? こんな仕事をいつかしてみたい!」と思っていました。そうそう、休みの日に著名な広告クリエイターの対談とかがあると、よく聞きに行っていました。それで「よし頑張るぞ!」と。 |


デザイナー職として採用された「エージー」では、どんなお仕事をしていたのですか? 三菱銀行の広告を、在籍していた3年間ずっと担当していました。当時、金融業界自体がすごく元気な時代だったので、それはもうやりがいがありましたね。コピーライターやアートディレクターとのチームワークの中で、ロジカルに広告を作る(広告を設計する)ことの大切さを学んだ時期でもありました。上っ面のデザインではなく、デザインひとつ作るにしてもそこに理由がないとダメだということを教えられました。今考えても、とても貴重な経験をさせていただいたと思います。 本格的に広告の現場で仕事をはじめて、より自分がやりたいことが明確になりましたか? 「エージー」では主にグラフィックデザインを担当していましたが、(広告業界が今よりも元気だった)時代の空気といいましょうか? 自分の表現したものが、もっと人の心を動かすような仕事をしたいという思いから、CMの領域まで自分の可能性を広げたくなってきて……。CMプランナー? CMディレクター? 次に進むべく道を考えた結果、デザイナー職でも、トータルでキャンペーンの企画に携われるチャンスが大きい広告代理店に行くことを決意しました。 結果、「レオバーネット」(現ビーコン)の門戸を叩いたわけですね。 外資系特有の雰囲気は、これまで以上にエキサイティングでした。競合プレゼンをして新規案件をとるチームに在籍する機会が多かったんですが、気がついたら7年間経っていましたからね(笑)。アートディレクターとしてグラフィックもやれば、ムービーもやる。今でこそ海外のプロダクションと仕事をする機会は多くなりましたが、当時のボスが外国人で「すごくいいカメラマンがシカゴにいるから紹介してやる。おまえ来週会ってこい!」っていう、非常にエキサイティングな場所でしたね。 岡田さんご自身、当時と変わらないクリエイティブのルールはありますか? 何か面白い話を考えてそこに商品を組み込んでいくという発想よりは、どちらかというと商品とその周辺にあるものから発想するようにしています。その商品でないとできないことを考えて、商品からアイデアを見つけることが多いかな。この考え方の軸は、今も変わっていませんね。 |


その後、「マッキャンエリクソン」を経て、現在の「猿人」に至るわけですが、「マッキャンエリクソン」時代の印象に残っている仕事を教えてください。 最初の1年間、NIKEの広告に携わっていたんですね。なかでもランニング関係の広告をメインに制作していましたが、当時はよく自分の足で情報を稼いでいましたね。競技場に行き、陸上部に所属する大学生に時間をもらい「このシューズの履き心地はどうですか?」とプレゼン前に感想を聞いたり、某企業の駅伝チームの人達(シューズのターゲット層)に実生活の過ごし方を聞きに行ったり……。商品やブランドの本質を知るためには、「消費者の生の声を直接聞くことが大切!」ということを学びました。他にもいろいろと印象に残っている仕事はありますよ。たとえば……! 「マッキャンエリクソン」に入ってから5年後、クリエイティブディレクターになられましたよね。これまでのアートディレクターとは異なる面白さ、難しさについて教えてください。 チームをつくる時に(今でも)心掛けていることは、例えばアートディレクターにしてもコピーライターにしても、自分にはできないことができる人を選ぶようにしています。それと、チームワークですから、関わる人数が多くなればなるほど、ひとりの人がちょっと頑張ることで、出来上がりって格段に違ってくると思うんですね。だから、気持ちよくひとり一人が力を発揮できるような環境づくりってホントに大切だなって思います。当たり前のことかもしれませんが。 2007年10月から始動したマッキャンエリクソングループの新会社「猿人」では、どのようなことをしているんですか? データ偏重主義の現在の広告業界のやり方とは異なるアプローチで、コミュニケーションのデザインに取り組んでいます。「データに固められた理屈で、果たして本当に人の心を動かすことができるのか?」というテーマのもと、コミュニケーションの新しい方法にチャレンジしています。例えば2008年7月21日(海の日)には『祝!海の日』と題し、海の日をきっかけに日本経済が元気になればいいよね!というコンセプトのもと、様々なクライアントを募り、既存のスタイルではない新しいコミュニケーションを提案しました。当日の日本経済新聞の紙面は、ほとんどの広告が海のビジュアルで、キャッチコピーはみんな「祝!海の日」。最初にアイデアありきの企画です。 前述のお話も含めて、今後岡田さんがチャレンジしたいことはなんですか? 「猿人」が考えるコミュニケーションを通じ、少しでも世の中のタメになることをしたいですね。コミュニケーションコンテンツを通じて、人々がちょっと元気になったり、だいぶ元気になったり(笑)。クリエイティブには、人の心を動かすチカラがまだまだあると信じていますから。 |


